「ミソジニー」といかに付き合うか
(
Ohnoblog 2より)
まず最初に、リンク先ブログのテーマである“「ミソジニー」(女性嫌悪、女性蔑視)といかに付き合うか”について反論や意見があるわけではないことを明言しておきます。
私が興味を持ったのはその中に書かれた『
エイリアン3』の分析に関して。

髪を切られて丸坊主になり、男性囚人と同じ服を着せられるヒロイン。そこには「女らしさ」はかけらもない。
(中略)
紅一点のリプリーは、囚人達には「平穏な生活を乱す者」として捉えられている。女は禍いを呼ぶ「邪悪」な者なのである
(エイリアンを連れてきてしまったことがその証左だ)。
ホモソーシャルに入り込んできた「有能」な女性は、女性性を剥奪され「いじめ」の対象になり悲惨な運命を辿るのだ、という解釈が成り立つ。自立を求める女性、男の子供をはらむことを拒絶する女性は、徹底的にファルス的な暴力にさらされ、子供を失い、友人を失い、美貌を失い、性生活を失い、夫を殺し、子供を殺し、自分も死ぬことになるだろう。この映画はそう予言している。ファルスと闘う女性はすべてを失うだろう。
これがこの映画の発信するあからさまなメッセージである。
(『女は何を欲望するか』(内田樹、径書房、2002)収録の「エイリアン・フェミニズム 欲望の表象」から抜粋)
「弱者男性」とは、『エイリアン3』では囚人達に当たる。彼らのリーダーは黒人でありマルコムXを模して描かれている。
彼はリプリーを憎む囚人達を諌め、彼女と共にエイリアンと闘うことを呼びかける。そのエイリアンを操ろうとしているのは「会社」(白人男性達)だ。
(中略)
女性と「弱者男性」が束になって闘った結果が、無惨な敗北なのである。
それもこれも、リプリーが囚人星に来なければ(女が男社会に入って来なければ)起こりえなかったことになるのだ。
反発し合っていた男女を、共通の「敵」のために一旦結束させておきながら、その闘いを報われないものとする。いろいろな意味でやりきれない結末である。
どんだけビビらすねん(笑)つーか男こえええええええ。
こんな解釈読むとこれから社会に出て頑張っていこうとしている女たちは後ずさりしちゃうんじゃね?
すでに社会に出て苦労してる女は絶望的な気分になるだろうね。
んで、男や男社会という漠然としたものに対して、さらには自分が女であることを過剰に嫌悪するようになるかもね。
どうなんだろう?現代のフェミニズムがムダに不安や恐怖を煽ってるとこない?
それって女にとっていいことないんじゃないの?
つーかそもそもエイリアンこそが「ファルス的な暴力」のメタファーなんだけど。
だって頭がチンポの形してんのよ?
「チンポ頭の怪物と戦う女」なんて、こんな分かりやすいメタファーないでしょ。
つまりリプリーは1作目からずっとファルス的な暴力と戦ってきてるわけ。そんで勝利してるわけ。
確かにリプリーは「会社」とも戦い続けてきたわけだけど、これも最終的には勝利してる。
エイリアンを生物兵器として利用すべく、それを何としても手に入れたい「会社」に対して、文字通り死んでも渡さなかったわけだから。
悲惨ではあるけども無残な敗北ではない。命と引き換えに勝利を手にしたんだから。
だから「あー面白かったあー!」ってスカっとするような話しじゃないけども、そんな後味悪いとかやりきれない映画でもないと思うのね。
暗いというより・・・・厳かな感じ(by牡丹と薔薇)

美幼女と仲間は死に、自らもエイリアンに寄生されてもはや死は時間の問題となったリプリーは、さっさと死んで楽になりたいという虚無感や絶望感に苛まれながらも囚人たちと協力し合ってエイリアンと戦う。
エイリアンは1匹だけとはいえ、ろくな武器は無いわ囚人はアホだわでてんやわんやになりながら、リプリーは辛くも勝利する。
そしてラスト、リプリーはエイリアン捕獲のためにやってきた「会社」の(建前だけの)救助を拒否し、溶鉱炉に身を投げ自ら命を絶つ。
『エイリアン3』でのリプリーの戦いは、これまでの“生き残るための戦い”とは違って、“どう戦ってどう死ぬか”という、「武士道とは、死ぬことと見つけたり」的な人間としての尊厳を賭けた戦いだといえる。
つまりリプリーは人間としての尊厳を守りぬいた殉教者なのだ。
というのが私の解釈なんだけど、これがフェミニズムにかかると“女性性を剥奪され「いじめ」の対象になり悲惨な運命を辿る”みじめで哀れな女になる。
それはそれでひとつの解釈だから全然いいんだけど、フェミニズムって一体何だろうと思う。
こういう考え方が女だけじゃなく、男や社会全体に何かプラスになるんならいいけど、あんまりそうは思えないなあ。
リプリーは私にとって、女でもヒーローになり得ることを教えてくれた偉大な存在だ。
だから私はリプリーというキャラクターを大いにリスペクトする。
フェミニストの人たちに足りないのはここじゃないかって思うんですよ。
ホモソーシャルな男社会の中で頑張ってる女たち、カッコいい女たちをリスペクトする姿勢が。
そういう社会を批判することはもちろん大事だと思うけど、映画にせよ現実世界にせよ
その中で戦ってる女たちにエールを送ることも大事だと思うよ。憐れむだけじゃなくね。
えー、つまり結局何が言いたいかというと、『エイリアン3』面白いよ!ということです。